今日は、”勝手にクラファン”始めた画家さんを応援するモードです。
まずは、こちらをご覧ください。
沖縄の久高島、そこは神の島とも呼ばれている場所です。
私には島のことを語る知識ないし、
島での暮らしを体験もしていないので、真実でない部分もあるかもです。
それを前提に読んでね。
私には、久高島や浜比嘉島という神聖な場所に住んでいる友達たちがいます。
そういう場所に縁あって暮らし始めたものたちがいます。
そういう意味では、東京から移住してきた私にも、
沖縄は、とってもご縁ある場所です。
だから、彼らが氣を留めているものも、なんとなく伝わってくる。(ちょっとだけね)
それは、島にあった暮らしや儀式などが消えていくこと
そして、それらを記憶するものたちが消えていくこと
当たり前にあった人々の営みが変わっていく
それは、今の時代を生きる人たちに共通した葛藤でもあるよね。
どんどん加速する、このスピード感の中で、
生きるという本来のプロセスが忘れ去られていくのを体験してるもんね。
そう、歴史というのは、あまりにも表層的すぎる。
多くの中から、ちょっと飛び出したものだけの記録にすぎない。
そこに描かれなかった背景は、どうなってるのだろう。
どんな物事も、バックグランドがあっての図象なのにね。
壁画に残された絵や、石板に刻みつけられた文字らしきもの。
誰かが、それを書かなきゃ、誰の目にもとまることはなく、
意識にすら上ってくることもなかったもの。
なにを残していきたいのか?
大切にしたい想いがそこにあるのは間違いない。
どこの地方もそうだろうけど、
久高島のコトバも、めちゃくちゃ方言強く、
コチラからすると、ほぼ外国語と同じようなもので、
なにを言っているのか、
なにを言わんとしているのか、キャッチするのは至難の技でございます。
それも、80歳を超えた方々がターゲットともなると、、、
トホホ
私の分かる範囲での想像だけど、
自分の母(80歳当時)に「私が産まれた時」のこと教えてほしいって聞いた時に、
帰ってきた答えのあまりのスカスカ感ったら。
もう少し現役の時に聞いておけばよかったんだろうけど、
知覚力、記憶力、表現力
そういうものひっくるめて、
へ?それじゃ〜、なんもイメージできないよ、、、となりました。
だから、「島のお年寄りから当時の話を聞く」
それって苦行みたいなものだよねーーーと思ったの。
だけどね、そんな彼らに残された時間も、ほんとうにあとわずか。
たくさんの話をしてくれた彼らが、一人でも生きてる間に、
そのシーンをカタチに残したい!って頑張っている仲間がいます。
少しでも興味持った方、応援したくなった人がいたら、
ちょっとだけ、あなたの愛を分けてください。
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